日本工業大学駒場中学校 大塚校長先生のお話・穴埋め式まとめノート

この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。

配信内容の主要部分を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。

番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。

今回お届けするのは、
日本工業大学駒場中学校・高等学校(東京都目黒区)の校長である大塚 勝之先生のお話です。


番組の聴取は下記より↓↓

【大切なお願い】

※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。

クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。

この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!

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Topics1:教育目標

居場所を見つけて欲しいし、居場所になりたい

おおたとしまさ氏(以下、おおた):
それでは、日本工業大学駒場中学校・高等学校の校長、大塚勝之先生にお話をうかがっていきましょう。

大塚先生、よろしくお願いします

日本工業大学駒場中学校・高等学校
大塚 勝之
校長(以下、大塚):
よろしくお願いします!

おおた:
先生とは「初めまして」で、こういった形でお話ができて光栄です。ありがとうございます。

大塚:
ありがとうございます。

おおた:
日本工業大学駒場中学校・高等学校は最寄りの駅でいうと…?

大塚:
京王井の頭線、渋谷から2つ目の駅「駒場東大前駅」です。学校がたくさんある文教地区で、駅から歩いて3分です。

おおた:
そんなに近いんですね!中学校も高校もたくさんあるところで、皆さん通っているのですね。では日本工業大学駒場さんではどういうことを大切に教育を行なっているのかというところからお話をうかがっていきたいと思います。

大塚:
本校は、今から14年前の平成20年に創立100周年を期して校名を今の「日本工業大学駒場中学校・高等学校」にしたんです。それまでは中高大あわせて技術者を育成しようと、これを専一に行っていました。ですが、14年前に進学型に舵を切り、大学進学の成果で結果を出していきたいと。今は早慶GMARCH、目標に近くなってきまして、再来年には早慶30名・GMARCH合格は100名を達成したい(です)、これはもう視野に入っています。

ただ、うちは大学進学だけが目標ではありません。我々が考えているのは――中高で一番大切なのは――いろんな子がいて(こその)学校ですから、生徒たちの良さを見出して育てて伸ばしてあげたい。子ども達には生き生きできる居場所を見つけて欲しいし、我々自身も居場所でありたい。そういう学校でありたい。

それで、日駒教育・最大の目標は「(1)を育む」こと。我々の心構えとしては、大学進学だけで成果を出すのではなくて、もっと大きな目標を持ちたい。それは(1)を磨いていくこと。(1)を磨き育てていくことの中に、本当の目標がある。それを――実は以前は工業科があって工業高校として技術者を育成していた時代から、我々はそういうことをやってきました。それをさらに中心に据えていきたいと考えています。

<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

Topics2:沿革

前身は日本初の飛行機を作った学校

おおた:
もともとの校名は何でしたか?

大塚:
(高校は)「日本工業大学付属東京工業高校」、中学校は「東工学園中学校」です。

おおた:
今は「日駒(にちこま)」――今は先生も生徒さん達も、みんなこう呼ぶのですか?

大塚:
そうですね。周りの方も言ってくれるようになってきました。

おおた:
愛着を込めてそう呼んでいるのですね。もともと技術者を育成する学校だったところから、14年前に進学校へと学校の性格を切り替えていったというお話が合ったのですが、さらに少しさかのぼって、今の日駒の教育がどのような歴史・歩みを経て作られてきたのかについてお話をうかがいたいと思います。

大塚:
本校は1907年――115年前に、東京ドームの近くの小石川で設立され、終戦後に駒場に移ってきました。実は、創立間もないころ、時は日露戦争が終わって殖産興業――工業を興そうという時代で。1911年、ライト兄弟の飛行が成功してから7年後、国産の飛行機を作ろう(ということで)初めて飛行機をつくったのがうちの実習場なんですよ。今の代々木公園のところで飛行実験をしたんです。

おおた:
ああ、ありますね。代々木公園に「日本初飛行の地(日本航空発始の碑)」という碑が残っていますよね。

大塚:
ええ、そうなんです。あそこで飛行実験をしたのです。(その飛行機を)作って組み立てたのがうちの実習場なんです。ですから、その頃から積極果敢に新しいものにチャレンジしよう、そこに熱を込めて、先生も生徒も一生懸命やる 当時は日野大尉という権威の方がいて、その方の指導の下でしたけれども、我々の教員・生徒が一緒になって一生懸命組み立てたと私は聞いています。

そういう「(2)を込めてなんでも取り組もう」というのが昔からのうちの気質で、今も――時代が変わって、以前は技術を教えていたものが今は普通教科の学習になっていますが――先生たちが(2)を込めて生徒に向き合う、これは今も昔も変わりません。うちは、その(2)はどこの学校にも負けたくないという、そういうつもりで、いつも若い先生たちと(思いを)共有しています。それがうちの特徴かなと。

<確認クイズ>
(2)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

普通教育の中でも「作る楽しさ」をいかせる人を育てていく

おおた:
1907年(明治40年)の開校。そもそもどういう理由で技術者養成の学校が作られたのでしょうか?

大塚:
日露戦争が終わった頃、明治から(時代が)移ってきて、国として強くならなければならない――工業力で国の強さが決まってくる時代だったので――工業技術者を世の中が必要としていました。だからその時の要請にしたがって、うちもできて。近くには今の東京電機大学もあって。東京電機大は戦後もしばらく神田にありましたね。うちも東京都小石川(東京ドームの近く)から神田に移って、一時期は近くにあったんです。戦後、うちはこちらに移ってきましたが。

おおた:
日露戦争が終わって、重工業化がどんどん進んでいくというその時代の中で、それを担う人たちを育てなければならないという社会的使命があったわけですよね。ホームページにある御校の歴史を拝見すると、最初の学科は電工科、機械科、建築科、採鉱冶金科。まさに重工業を支えていくための技術を学べる学校として始まったということですから、当時としては最先端の産業技術が学べる学校だったわけですよね。そういうパイオニア精神が伝統としてある学校ということかなと思います。

大塚:
今は普通科だけ――進学型に変わったのですが、うちは、技術者育成はもちろんですが、ずっと「作る楽しさ教育」(もしてきました)。

ものづくりというのは実はどんな進路に行っても役に立つ(ものです)。同じものを作るのでも、一工夫入れただけで全く違うものになってきます。(中略)音楽や美術の窓と一緒に技術の窓ものぞかせてあげると、その人は絶対に幅の広い人間(になります)。将来、銀行マンになるのだとしても音楽を知っていれば幅が広くなる、同じように技術の窓もどんな職業につくにしても必ず役に立つというのが僕の考えです。

(中略)実は今(本校は)中学の技術の時間を他の学校に比べると1時間だけ多くやっているんですよ(他の学校は週1時間、うちは週2時間)。進学のことを考えるとあまり時間はとれないのですが、それでも、うちらしい「作る楽しさ」をやっています。将来に向けて発想力を磨いてほしいという気持ちでやっています。

おおた:
進学校になったとはいえ、100年以上の歴史を持つ、そして長い歴史の大部分は技術者を養成する、作ることが得意だった学校の伝統を今の教育の中にも生かして、普通教育の中でも「作る楽しさ」をいかせる人を育てていくと。

大塚:
今は文系に進む子も芸術系に行く子も多いですが、そういう子も(「作る楽しさ」が)身に付いて出て行きます。女子生徒も多くなりました。以前の学校とはまったく違うのですが、それでも歴史の部分については、発想力を磨けるようにということで、子ども達への支援・指導をしています。

おおた:
長い間、技術者を養成する学校として培った文化があるわけですから、やはりそれを最大限生かして、進学校になったとしても、文系に進む子であったとしても、そうした伝統をうまく生かし、融合して生かせるようなお子さんたちを育てている教育なんだろうなと思いました。


Topics3:保護者様へのアドバイス

同じ土俵をなるべく早い時期につくることが大切

おおた:
そういった技術者を養成する学校という生い立ちとして長い間そういった性格の学校だったものが、今、その伝統も生かしながら進学校として生まれ変わって14年が経ったという、ちょっとユニークなバックグラウンドがある日駒ですが。

ちょっと無理があるお願いかもしれませんが、日駒流の教育のエッセンスを一般のご家庭でも取り入れることはできないかな、何かヒントをいただければと思うのですが。

大塚:
エッセンスなどという生意気なことではないのですが――中高6年間は「激動の6年間」なのです。子ども達はどんどん変わっていきます。特に中2の後半ぐらいで子どもから大人に変わる瞬間というのはもう、どの子にもあるのですが、3週間か1カ月ぐらいで随分顔つきが変わってしまう、そんな実感を毎年持つんですね。

そこで大切なのは――子どもは中高の6年間で変わりますから――絶対に、常に「真剣勝負」(ということです)。真剣に子どもに向き合っていかないと。後になって、子どもに対して「ここで真剣にやるべきだったのに」と後悔することがあるんですが、それはいけない。悪いことは悪い、応援するところは応援し、ほめるところはほめてあげる、そういうことを欠かさずやらなければだめだなというのが実感としてありますね。

ですから――親もそうですし教員もそうですが――自分に甘えず、「今日は〇〇だからこうしちゃおう」ではなく、この中高6年間だけは真剣勝負だなというふうに思っていまして。

そこでもっと大切なのは、家庭と学校で協力関係を作ることです。うちは常に作ろうとしています。特に入学してから中2ぐらいまでの間は、男の子も女の子も子どもっぽい部分がある。ここの2年間に家庭と学校でしっかりとタッグを組み、学校でも家庭でも同じことを子どもに向かって言えるようにする(ことが大切)です。

昔は家庭におじいちゃんやおばあちゃんがいたり、近所の人がいたりしましたが、今はそういう場がありません。核家族ですし、近所の方とはなかなかお付き合いをしない場合が多いですから、そのぶん学校と家庭でタッグを組み、子どもに同じように言ってあげる(ことが大切です)。心配な時は一緒になってその方向を変えてあげることも必要ですし、ほめる時は学校であったことを伝えて家庭でもほめてもらう。

家庭と学校で、「子供を伸ばすために」というところで、同じ土俵をなるべく早い時期につくる。共通理解をつくる。これが絶対に大切だなぁというのが、私たちの現場での考えですね。

おおた:
ご家庭と学校が協力体制をとり、意思の統一を図っていくということを、特に最初の中学1年生~2年生ぐらいの時に早く関係を結ぶと。

大塚:
うちの場合でいいますと、中学に入って4月に保護者会、5月にも保護者会、6月にも保護者会、7月には面談があります。早い時期に保護者の皆様となるべく同じ土俵をつくる。そこが勝負だなと。入学して間もない時期に保護者さんと共通理解を。(生徒さんは)子どもだからあっちに行ったりこっちに行ったりしますよ。でも「今日は協力してこうしましょう、ああしましょう」というところが大切だなと。これは本当に実感としてあります。

「これはダメ!」という瞬間にしっかり言ってあげる

おおた:
先ほど先生は「真剣勝負」とおっしゃいましたが、子どもに対して真剣勝負って、親御さんは具体的にどういうところに気を付ければ良いのでしょうか?

大塚:
(中略)お父さんは女の子を叱りにくいんですよ。どうしても甘々になったりする。お母さんは――男の子はだんだん、中1ぐらいになってくると生意気な口をききだして、(こちらも)なかなか言いにくくなります。本来であればこうあるべきなのになぁと心の中で思っても、言いにくくなってきます。色々。

ですが、心配なことはやはり方向をしっかり変えるところは変えてあげられるように(中略)子どものためになることは甘やかすことではなく「ここはしっかり言わなくてはならない」というところだと思うんです。もちろんほめるところはほめてあげる。でも大切なのは、うまくいっていない時にしっかり方向を変えてあげる、あるいは、もっと簡単に言うと「ダメなことはダメ」と言ってあげる。そこをしっかり言えるように、本気で。子どものためを考えたら言わなければならないという、そういう真剣な気持ちですね。そういうところだと僕は思っていて、その積み重ねが将来に向かっていくのではないかなと。真剣勝負というのは他にもいろいろな場面であると思いますが、たとえば今みたいな叱る場面ではないかと。

おおた:
中高生の頃の叱る場面って、どういうところでしょうか?僕なんかは、取材をしていると(むしろ)そこを言い過ぎてしまっている親のほうが多いんじゃないかと…

大塚:
それは勘所があると思うんです。いちいち言っていたら「うるせえな」で終わってしまいますよね。でもだんだん年がかさんでくると――中1の頃は言うタイミングってたくさんありますけど、中2、中3ぐらいになると「あ、これを超えたら中3としてダメだな」という(ところで言うだけにする)。

日々の「勉強しなさい」とか「〇〇しなさい」は中1であれば言ってもよいですが、中3にもなると「うるせえな」と(なってしまい)逆効果ですから。(そうではなく)(中略)「これはダメ!」という瞬間にしっかり言ってあげることだと思います。

感情的にならず、ヒステリックにならず。「お前のことを思ったらこれはダメ」という気持ちが大切ではないかと思います。

おおた:
校長室訪問、今回は日本工業大学駒場中学校・高等学校の校長・大塚 勝之先生にお話をうかがいました。
大塚先生ありがとうございました。


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