大妻中学高等学校 梶取校長先生のお話・穴埋め式まとめノート

この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。

配信内容の主要部分を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。

番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。

今回お届けするのは、
大妻中学高等学校(東京都 千代田区)の校長である梶取 弘昌先生のお話です。


番組の聴取は下記より↓↓

【大切なお願い】

※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。

クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。

この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!

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Topics1:学校紹介

ピッチャーではなくキャッチャー。それが校長の役割

おおたとしまさ氏(以下、おおた):
それでは大妻中学高等学校の校長、梶取 弘昌先生にお話をうかがっていきましょう。梶取先生、よろしくお願いします


大妻中学高等学校
梶取 弘昌
校長(以下、梶取):
よろしくお願いいたします。

おおた:
今回は大妻中高さんのお話をうかがっていこうと思います。まずどんな場所にあるのか、最寄りの駅はどちらになるのでしょうか。

梶取:
最寄りの駅というと、市ヶ谷か半蔵門だと思います。生徒はどちらかから来ています。

おおた:
市ヶ谷というとJRもあるし地下鉄も通っていますし。半蔵門は半蔵門線ですね。

梶取
ですから、靖国神社も近いですし。

おおた:
そういうところですよね。近くの環境としては、周りに学校もたくさんありましたよね。

梶取:
ええ。色々な学校がありますし、私はこの4月からなんですけれども、なにしろ坂が多いですね。私は市ヶ谷から通っていますけれども、行きはよいよい…帰りは「のぼり」なので、やはり疲れていると足も重くなります。

おおた:
あはは。先生、まだまだお若く健脚でいらっしゃいますからなんてことはないかと思いますけれども。そういった環境にある大妻中高ですけれども、大妻中高という学校はどんな学校と言えますでしょうか。

梶取:
そうですね…ひとことではなかなか難しいですけれども。昔から、世間的には「良妻賢母を育てる学校」と言われていたようですね。ただやはり、今のご時世ですと良妻賢母が悪いようなことを言われる方もいますけれども、私はそうは思いません。家庭を守る女性ってすごく大事ですよね。そういうことを含めて、女性も男性も生き方は多様化していますから、その中の良妻賢母もありですし、もちろん社会に出てバリバリ働くのもありですよね、色々な働き方があると思います。

おおた:
良妻賢母という役割を女性だけに当てはめるとアンバランスかなと思いますけれども、同じ意味合いで男性が…なんというのでしょう、「良夫賢父」?

梶取:
そうですね。

おおた:
無理やり言うと。そういうのもあって良いでしょうし。

梶取:
そうですよね、ですから男女の役割も色々ですし、男性が家にいて家庭を守ることももちろんありですよね。また、家庭がなくとも一人でバリバリ(働く)のも良いですし、結婚するのも自由、結婚しないのも自由、まして今のご時世、同性のパートナーでももちろん構わないわけですからね。色々な価値観が認められる学校だと私は思っています。

おおた:
なるほど、色々な価値観が認められる学校であると。良妻賢母というと、それを「女性は良妻賢母でなければならないんだ」と、これは違いますよね。

梶取:
そうですね。男性たるものはとか女性はこうでなければとか、価値観そのものが今の時代に合わないですよね。ですから色々な役割があっていいと思います。

おおた:
その中のひとつの生き方として良妻賢母は否定しませんよ、というご趣旨ですよね。

梶取:
はい、そうです。

おおた:
学校の中の雰囲気は(いかがですか?)

梶取:
私も女子校は初めての経験で、なんというのか、もっと厳しくてカタいというイメージがあったのですが、本当に――「やわらかい」というと違うのですが――色々なことに柔軟性がある学校だと思います。他の女子校もたぶん、そうですよね。どこの女子校も元気だし、だと思います。

おおた:
女子校が初めてだというお話がありましたが、先生の前歴のお話も少しうかがってよろしいですか?

梶取:
もちろんです。武蔵高等学校中学校で8年間校長をしていました。そこの経験からしか知らないですが、あまり男性・女性という違いは感じませんね。武蔵の生徒も素直だし、大妻の生徒も素直で活発だし、そういう意味ではまったく変わらないです。

おおた:
先生は長く男子校の先生をされていて、そこから初めて女子校という環境に足を踏み入れたというところなんですよね。先生は校長室に突然生徒さんが入ってきてくれて、そんなサプライズも楽しいなんてお話をされていたかと思うのですが。

梶取:
まず私が女子校を知らないし、4月に来たばかりですからわからないことだらけなんですね。ですから先生方と生徒に色々教えてもらおうと思って。それとやはり、コミュニケーションが、学校に限らず大事ですよね。生徒たちとも話をしたいので、だいたい校長室の扉はいつも開けております。色々な生徒がやってきます。そこでの会話もとても楽しいです。

おおた:
すごいですよね、校長室に飛び込んでくる生徒さんたちというのもなかなか。

梶取:
飛び込める生徒もいるし、躊躇して走り抜けていく子も。

おおた:
それは一瞬、先生の顔を見て走り抜けるんですか(笑)

梶取:
入りたくて入れなくて、ぱーっと走っていく子も、見ていてかわいいですけどね。

まず一番生徒が言ってきたのは「校則を変えてください」と。あと「制服を変えたい」と。それが一番多かったですね。ただ、生徒たちに言っているのは、校長がそれを変えるという権限はないよと。みんなの中でちゃんと話し合っていこうよと。クラスに持ち帰ってたとえば校則を変えたいのだったら、どこの校則を変えたいと話し合ってごらん、という話をしました。制服も、何人か来ると、制服を変えたいという生徒もいれば、今の制服が大好きという生徒もいるんですね。当然ですよね。

色々な生徒がいて色々な意見が飛び交って、その中から一番良い回答が出ればいいなと思っています。基本的に、教師が押し付けるのではなくて、生徒たちの色々な話し合いの中で色々なことが決まっていけばいいかなと私は思っています。

おおた:
生徒さんとしては、校長先生は学校で一番偉いんだからこれを変えてください、あれを変えてくださいというようなことを言ってみるわけですけれども、先生の答えは、それは校長先生が勝手に決めることじゃなくて、みんなで話し合って何が一番いいのか考えて行こうよ、というようなお返事をされているということですね。

梶取:
生徒たちは「校長は偉い」と、変な誤解をしていますよね。

おおた:
(笑)

梶取:
まあ、そういう学校もあるのでしょうが…私は偉くもなんともなくてですね、たとえて言えば、校長というのは野球で言う「キャッチャー」だと思うんです。ピッチャーじゃないんですよ。キャッチャーなので。かつての野村捕手はすべての配球を覚えていたといいますが…

おおた:
野村捕手というのは野村克也さんですね?

梶取:
そう、野村監督がね。私はあれが理想ですね。すべて投げられる球を頭にいれておく。すべての情報はすべて入って来る。それをどう差配するかは校長です。ですから、投手にあたるのは先生たちだし、生徒だし、保護者の方々ですよね。そこが主役だと思っています。

おおた:
そちらが出発点になって、校長はどんな球がきてもそれを受け止めるという立場にあると

梶取:
パスボール(注:捕逸。捕手のエラーのこと)をしないようにしていますけれども。難しいですね(笑)

Topics2:沿革/教育とは

教育の目的とは『からだ』を育てること

おおた:
そういった校風の大妻中高さんですが。非常に伝統のある学校というイメージはあるのですが、改めまして、どういった創立者の方が作った学校なのか、そしてどういった歩みを経て現在があるのかというところをうかがっていきたいのですが。

梶取
この学校は1908年に塾生15名でスタートしました。

おおた:
塾生。私塾だったわけですね。

梶取:
創立者の大妻コタカは当時24歳だったそうです。

おおた:
24歳で学校を作るのはすごいですね。

梶取:
すごいです。大妻もそうですが、女子校、そういう歴史がある学校が多いですよね。当時の素晴らしい女性たちが色々な学校を作ったのだと思います。校訓の「恥を知れ」は色々なところで有名だと思うのですが…

おおた:
有名ですね。

梶取:
それを創立者の大妻コタカ先生がおっしゃっていました。私もこれは、これからも、今の時代もそうですし、これからも大事な――教育にとっても大事ですし、大人たち、子どもたちにとっても大事だと思います。人間教育の根幹をなす素晴らしい言葉だと思っています。

おおた:
なかなか「恥を知れ」というフレーズだけを聞くとすごくインパクトがあるわけなんですけれども、そこに込められた…

梶取:
人に(対して)言うとちょっと問題なのですけれども、これはコタカ先生も言っているように、自分に言う言葉なんですね。他人に言うことではなく、あくまで自分に対して。ひとことで言えば「自分を律する」ということですね。私はそれを「(1)の心」と理解しています。

おおた:
(1)の心。

梶取:
そういう気持ちがあると気持ちの余裕も生まれますよね。やはり、自分に気持ちの余裕があると人に対する思いやりもできる。自分を律することで、日々自分が受けている多くの恩恵に感謝する。自分を高める努力を怠らない。これは本当に教育の根幹であるし、大妻の教員・生徒だけではなく、世の中全般に必要だと思っています。

おおた:
「恥を知れ」、それを人に対して指を向けるのではなく自分に向け、自分が自分に恥じるような状態ではないかどうかということを常に胸に手を当てて考え、必要であれば自分を律するという姿勢を表している言葉だと思います。

梶取:
これは(大妻の)学校生活の中で生かされていると思っています。先生たちも生徒たちもこれを軸にして、先生たちは生徒を教えているし、生徒は、生徒同士の部活動などでこの言葉が背景にあって活動しているのかなと思っています。

おおた:
恥を知れ、は自分は本当に今の自分が許せるのか?とそんな意味合いで、常に自分を客観視して、そして新たな自分になるチャンスを見逃さないで、あきらめないで、挑戦していく、そんなふうに自分を奮い立たせる言葉でもあるのかなと思います。

梶取:
この「恥を知れ」から、私は――この学校でも言い続けているのですが――教育の目的とは『からだ』を育てることだと思っています。音だとわかりづらいのですが、私は、ひらがなでからだと書いて、それを『』でくくっているんですね。『からだ』、この意味は、我々をつくっているすべてです。肉体はもちろん、色々な精神だとかそういうものをひっくるめて、まるごとひとつの自己をつくることが教育だと思っています。

勉強ができることは大事なのですが、それが自分のためになるとひとりよがりになるし、ひとと比べてひとに勝った・負けたとつまらないことになります。ですから、そうならないような学び、それが『からだ』を作ることだと思っています。やはり学びというのはひとと比べるものではなく、自分の『からだ』を作るものです。ですから生徒たちには、勉強というのは人と比べる、競争するための道具ではないよと、自分を律するために学ぶことが必要なんだよと言っています。

おおた:
先生がおっしゃっている『からだ』というのは、その人の存在すべて、それは内面だけではなく外とつながっている関係性も含めてのその人の存在すべてというニュアンスの理解でよろしいでしょうか。

梶取:
そうですね。ですからこの今の世界で、私たちが知らない国の人たち、世界の人たちもいますよね。そういう人たちとも間接的につながっている。また我々が親から受け継いだ色々な遺伝子的な情報がありますが、その親はたどっていくと人類のはじまりにつながるわけです。同じように、我々が死んだあとに、我々の何かが誰かに伝わっていくわけです。そのような時間のタテとヨコ、それを含めて『からだ』を作っているので、この『からだ』を育てることが教育だと私は思います。

おおた:
ちょっと難しい概念かとは思いますが、すごくその、全体性というか、単なる自己という閉ざされたものではなく、もっと開かれた自分という意味合いがきっとありますよね。そういった全体を含めて、そういった意味での『からだ』を大きくしていく、豊かにしていく。そういうことが育つことだし、教育であるというふうなメッセージかなと思います。


<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

Topics3:保護者様へのアドバイス

学校は「オートメーションの工場」ではない

おおた:
そういった教育が実践されている大妻中高さんですが、その教育のエッセンスみたいなものを、一般のご家庭でも取り入れるヒントやアドバイスみたいなものをちょっといただければと思うのですがいかがでしょうか。

梶取:
私は人にアドバイスできるほど偉くないので…自分はダメな人間だと思っていますから…

おおた:
いやいや(笑)

梶取:
ですので、(このPodcastを)聴いていらっしゃる保護者の方も、子育てで色々ご苦労をされていると思います。そういう、ご自身が向き合っている子どもたちが一番大事だと思います。やはり子どもたちに伝えたいのは「学ぶって楽しいよね」ということです。点数を取ることが学びでもないし、先生だとか大人にほめられることが勉強ではない。そうではなくて、今までできなかったことができるようになったり、知らないことを学んで知識が増えたり、それって楽しいよねということが一番大事だと思います。

保護者の方は、そのようなお子さんを見守って欲しいですね。どうしても近くにいると、悪いところが目につきますよね。何やってるの、とかグズグズしちゃだめ!とか、言いますよね。それをぐっとこらえて、お子さまのいいところを見ていただきたい。

子どもたちはみんないいものを持っているんですよ。たとえば植物で言えば種を持っていますから、必ず育ちますよね。私は自宅近くで畑を借りて野菜を作っていますけれども、トマトはトマトの種からしかできませんよね。きゅうりやなすがトマトになることはできません。子どもたちも同じで、それぞれの種を育てればいいのであって、人とくらべて「あっちがいい」と言ってもだめなのであって。自分が持っている種を育てて欲しいし、保護者のかたはその種を大事に見守って欲しいと思います。

野菜を育ててわかるのは、小さい時、種からようやく芽を出した頃というのは、とても大事に育てないと枯れてしまうんですよ。水のやり方も微妙に(調整して)あげなければいけないですしね。それが、ある程度大きくなって育ってくるとほうっておいてもいいんです。逆に、そこで水をやりすぎたり肥料をやりすぎたりすると根腐れしてしまいます。

子どもたちも同じで、ある時期まではしっかりと手をかける必要があります。ただこの「ある時期」が人によって違う。これは先生たちにはわかりません。(わかるのは)保護者のかただけですね。ですから自分のお子さんにしっかり向き合っていかないと、この「ある時期」がいつになるかわからないのです。そう私は思っています。

おおた:
この「ある時期」は親御さんにはわかる…ということなのですが、それはあらかじめわかることなのですか?それとも「ある時期」が来た時に初めて「あ、今かな?」とわかるものなのでしょうか。

梶取:
そこはやはり、お子さんをよく見ていないと。よく「見守る」と言いますよね。どの程度、繊細に自分のお子さんが見えているか。よくあるのは、熱心な保護者のかたほど色々勉強しています。色々な子育ての本を読んだり、確かに(それは)素晴らしいのですけれども、それを読んでもご自身のお子さんに当てはまるかどうかわからないのです。ですから本は本で、あくまでも参考で。お子さんとしっかり向き合っていかないと。

ただ、こう言うとまた――「しっかり向き合う」と頑張ると逆ですから…言い方が難しいのですよね(笑)。私の言うことを真に受けると「しっかり見なくては」となると監視状態になって、それはそれで子どもは苦しいですから…。

おおた:
先生がおっしゃった子育ての指南書みたいなものを読んでも当てはまるかどうかわからないのはおっしゃる通りで、なんだろうな、そういう方法論みたいなものにとらわれてしまうと、そのやり方に子どもを当てはめてしまいたくなってしまう…でもそうではなくて、まず子どもありきなのだから、方法とか目標とかを見るのではなく子どもを起点にして子育てをしましょうよという意味合いにもとらえられるのかなと思います。

梶取:
ですからまず、保護者のかたが子育てに自信をもっていただきたいんですね。

迷った時に本を読んだり人の話を聞いたりすることは大事なのですが、すべてを本やある人の言うことを信じていると間違ってしまいます。それはやはり、立派に育つということを誤解すると、いわゆる「一流の大学」に入ることが立派だとか、いわゆるですよ、いわゆる「一流の会社」に入ることが育ったことだ(と思ってしまいかねないけれど)これは違うんですね。今の世の中、そんなことはないですから。一人ひとりがたくましくないと、これからは生きていけないですよね。肩書にこだわっているうちはダメですね。ですから、お子さんも保護者のかたも自信を持って、自分はこうしたい!というものを持っていただきたい。

今の世の中って「短期促成栽培」が好きですから。たとえば、6年をかけてどっかの大学に何十人入れます、とかね。これがエビデンスと言われますけれども、教育にエビデンスなんてありません。エビデンスというのは、我々が死ぬときになって、ああいい人生だったねと思えばエビデンスですね。それぐらい長いスパンで考えないと。短期的な目標はあまり気にしない方がいいと私は思います。

おおた:
先ほどの「立派に育つ」とか、あるいは、私が時々聞いて気になる表現としては子育ての「成功」とかですね(笑)。それはなんなんだろうと。

梶取:
そうそう。学びにしても――私はずっと「勉強」という言葉を避けてきたんですが――「正しい学び」なんかないですよね。そこがあるものだと思うと、そこに向かって突き進むのがいいことであって、そこから外れるとダメだみたいに(思ってしまいかねませんが)そうではないんですよね。

おおた:
そしてその「正しいもの」があるはずだと思って、それをたくさん仕入れてそのとおりにやってみても、やっぱりそんな「正しいもの」なんてあるわけがないんだから、うまくいかないことが多くて。「あれ、なんでうまくいかないのかしら」とさらに悩んでしまう。そういう悪循環も今の子育てには、情報が多いからこその親御さんたちの苦しみや戸惑いもあるのかなと思うんですが。

梶取:
もっと言えば、大妻に限らずですが、素晴らしい学校はどこでもそうだと思いますが、学校というのはオートメーションの工場ではありませんよね。「”大妻ブランド”を背中に貼り付けて卒業させて大量生産しました」という学校ではないです。ここは大妻に限らず、どこの素晴らしい学校も皆さんそう思っていると思います。そこを私はメッセージにしたいと思います。

おおた:
ありがとうございます。校長室訪問、今回は大妻中学高等学校の校長、梶取 弘昌先生にお話をうかがいました。梶取先生、ありがとうございました。


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