高輪中学高等学校 平野 豊校長先生のお話・穴埋め式まとめノート

この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。

配信内容を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。

番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。

今回お届けするのは、
高輪中学高等学校(東京都港区)の校長、平野 豊先生のお話です。

番組の聴取は下記より↓↓

【大切なお願い】

※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。

クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。

この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!

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Topics1:学校の概要

学校の目の前に「高輪ゲートウェイ駅」ができました

おおたとしまさ氏(以下、おおた):
それでは高輪中学高等学校の校長、平野豊先生にお話をうかがっていきましょう。平野先生、よろしくお願いします


高輪中学高等学校
平野 豊 校長先生(以下、平野):

よろしくお願いします。

おおた:
学校のロケーションはどんな場所にあるのか教えていただいてもよろしいですか?

平野:
最寄り駅は、一番近い駅が都営浅草線・京浜急行線の泉岳寺駅です。ここからだいたい3分ぐらいの距離になります。2つ目に近い駅としては、都営三田線・東京メトロ南北線の白銀高輪駅がございます。こちらからは5分ぐらいです。2020年にはありがたいことに新駅が近くにできました。JRの山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅です。この3つが現在の最寄り駅になっております。ありがたいことに非常に通いやすいところです。

おおた:
本当ですよね。今までは泉岳寺、都営浅草線ということで…そんなにメジャーな線ではなかったですが、白銀高輪に行くと南北線が色々な所に行くのに都合が良いですが、高輪ゲートウェイ駅が目の前にできたのは画期的ですよね。

平野:
なにか、街が変わってしまうような。品川と田町の間にはJRさんの車両基地がありまして、東京ドーム3個分ぐらいの広さらしいのですが、そこに、新たな街づくりということで2025年ぐらいまでにいくつかのビルが建つというロケーションで。高輪ゲートウェイを使っている生徒も普段、驚きながら通ってきている状況です。

逆に学校の周辺に関しましては、実は、お寺さんが多いんですね。すぐお隣に駅名にもなっています泉岳寺、こちらは忠臣蔵の討ち入りで赤穂浪士四十七士のお墓があるお寺ですが、その山門を入って境内に突き当たって右側を見てもらえると本校の正門があるというようなロケーションになります。

おおた:
そうですよね。泉岳寺の中にあるような錯覚を…

平野:
そう、そうなんですよね。ただ、泉岳寺さんとは宗教的な部分を含めまして関係はないんですね。(単なる)お隣同士でして。

おおた:
高輪さんは歴史、後ほど出てくると思いますが、宗教としては仏教との関わりはあるわけですけれども、でもそれと泉岳寺さんは別の話なんですよね。

平野:
別の話なんです。

おおた:
ロケーションからしててっきりセットなのかと思ってしまいますが。

平野:
他にもいくつかのお寺さんに隣接していますし、最近の話題ですと、学校の北側には上皇様ご夫妻が今年の4月まで仮住まいをされていた旧高松宮邸(高輪皇族邸)という建物がございまして。ゲートウェイ駅の近くは比較的今、工事でという感じですが、学校の周辺は落ち着いた環境なのではないかなと思っているところです。

おおた:
そういった場所にある高輪中高さんですが、学校の特長というとどんなところが挙げられますか?

平野:
まず、校訓は「自主堅正」という言葉になります。(中略)この言葉は、変遷があったようで、戦前の教育目標としては「自治協同」という言葉があったのですが、それが戦後、自主性を育てるというところから自主に変わって、また、堅正という言葉に関しましては、これも戦前なのですが、本校の講堂に海軍大将の東郷平八郎さんの書があったと。その中に「重厚堅正」という言葉がありまして、当時その言葉が生徒、卒業生に非常に親しみがあったと。当時は昭和の初期ですけれども、今でいう生徒会ですかね、当時すでに生徒会があったそうですが、その自治会の名前として「堅正会」という名前がすでについていたそうです。それで現在は自主と堅正という言葉をあわせて「自主堅正」を校訓にしております。

おおた:
東郷平八郎さんの書いたものが講堂に掲げられていて、生徒さんたちが日頃目に触れていたところにあって、その言葉がすごく…

平野:
そうなんです。むしろ生徒主体というか、自治会がそういった名前をつけるぐらいですから。そういったところが特長かなというところでして。

意味はもう、堅く正しいなので、本当に日々の生活の中で自らを戒め正して、堅く正しく、目の前のことに真摯に取り組んでいきながら自分の能力を一日、一日磨いていこうというようなそういった意味の言葉になるんですね。

最近では折り紙やマケドニア研究のサークルが立ち上がりました

おおた:
学校の雰囲気、校風はどんな感じですか?

平野:
そうですね…まぁ、おおらかな校風じゃないかなというのが感じているところです。今、目の前のことに真摯にというお話をしましたが、生徒には、勉強もそうなんですけれども色々な自分の関心があることになにごとにも積極的にチャレンジしようよということで、私としては色々なことに挑戦を――失敗してもいいから色々なことに挑戦して。失敗してもいい、安心して生活できるような環境を作っていこうと。そういった学校の雰囲気ということでお伝えできればと思っております。

そういった取り組みの中で自信を持たせることが大事だなと思っておりますので、その機会としては、生徒の個性を色々なことを通じて発揮してほしいということで、たとえば学校行事の中でも――文化祭での発表の機会や、たとえば中学1年生ですと合唱コンクールをやったり、2年生では演劇をやったりと、最初はぎこちない取り組みでもだんだんと回を重ねるごとにうまくなって自信がついていく、そういうところを取り組んだり。

また、部活動なんかも特徴的なものがあるんじゃないかなと思っております。

本校は文化部と運動部の割合、運動部が6割ぐらいで文化部が4割、わりと文化部のほうが生徒が多いんじゃないかなと思ってはいるのですが、たとえば100人ぐらいいるクラブ、理科研究部や鉄道研究部、男子でもマニアックなクラブがある学校だと思います。そういったところで、自分の取り組んでいるものを発表する場、大きな教室でNゲージをつくったりとか、あるいは理科研究部に関しましても、もっと多くの膨大な標本を発表したり。そういったところで子どもたちは自分の好きなことに取り組む。これも男子校の特長なんじゃないかなとこのように思っているところです。

もうひとつ、クラブ・同好会の下に実は「サークル」という団体もありまして、これは、好きな仲間が集まって、誰か先生がついてくれれば活動ができるというような団体もあるんですね。珍しいところですと、たとえば、最近できたサークルでは折り紙とかマケドニア研究サークルなんていうものが。

おおた:
マケドニア。

平野:
これは実はオンライン英会話を受講している生徒が、多くの生徒が受講をしているのですが、そのオンライン英会話でたまたまマケドニアの国の人と会話をする――英語で当然やりとりするわけですが、マケドニアの講師にあたった生徒がいまして、そこからマケドニアの国に興味を持ちまして、同じ学年の英語の先生にお願いしてマケドニア語を研究する、マケドニアのことを研究するサークルが立ち上がった、そんなことがありました。

何をお伝えしたいかというと、生徒の興味関心につきあう教員というような部分ですね。そういったことを、そんな学校の雰囲気ということもお伝えできればと思っております。

おおた:
また部活というとすごく組織的にちゃんとしなければいけないでしょうけど、もう少しハードルの低いものとして、自分たちの興味関心を形にしていく、やりやすいサークルという仕組みがあるということですね。なるほど。そういった中で生徒さんたちがそれぞれの個性をのびのびと活かして好きなことを追求していく中で自信を身に付けていくというお話かと思います。

Topics2:沿革

「自主堅正」そして「見えるものの奥にある、見えないものを見つめよう」

おおた:
そういった高輪中高さんですが先ほどちらっと宗教とのかかわりというお話もありましたが、もともとどういった経緯で作られた学校で、その後どういった歴史的変遷を経てきたのかというところからおうかがいしたいのですが、

平野:
本校の創立は明治18年になります。京都の西本願寺が京都に作った学校なのです。ですので、初めは仏教との関係がある学校として創立いたしました。その後、今度は明治34年――今から121年前の話になるのですが、当時は京都にできた学校が中学校と高等中学校と大学という3つの学校にすでに分かれておりまして――今でいえば中学・高校・大学ということになるのですが――3つの学校に分かれていました。それが現在の東京・高輪の地に移転をしてきたのです。東京・国の中心に学府を移そうという、そういった方針の元で移転をしてまいりまして。

ところがどうも、その後色々なことがあったようなのです。ここをお話すると時間がかかってしまうのですが(笑)、その3年後の明治37年に中学校だけ残して高等中学校と大学は京都に戻ってしまったのです。

当時の中学校は、第一仏教中学と名前を変え(中略)、その中学校だけになってしまったんですね。その後、色々と経済的な面とか色々なことがあったようなのですが、ちょうど、さらに2年後の明治39年に文部省令というものがありまして、それを機に仏教との関係から離れて高輪中学校という名前に変わっていわゆる普通課程の中学校で再出発したのが明治39年のことです。

おおた:
もともと仏教の学校として僧侶養成の学校だったということですよね。

平野:
そういう意味合いが強い学校ですね。普通課程の生徒の受け入れも全面的にという形になったという部分があろうかと思います。

おおた:
明治39年にそういうふうになったということですよね。

平野:
はい。その時に、もともとは西本願寺が創立したということなのですが、高輪中学の創立に関してはその時の校長で龍口了信(たつぐち・りょうしん)という先生がいらっしゃいまして、高輪中学校における最初の校長先生だったのですけれども。

この方は東京帝国大学を卒業していて、夏目漱石と同級生だったらしいんです。漱石の「こころ」という小説がありますけれども、その中に「K」という登場人物が出てきますが、この「K」のモデルには色々な説がありますが、実は、龍口先生は広島のお寺さんの次男に生まれていらっしゃって、そういったところの部分を――Kも実はそういったお寺さんの、というところがあったと思うので――そういったところを設定ということで、それだけ関係の深い方だったようなんですが。

この方がですね、教育に熱心な方で、日本で初めての性教育をやったのもこの先生らしいのです。

おおた:
ああ、そうなのですか。

平野:
同郷の医師を招いて性教育を男子校でやったという、これは日本で初めてなんですね。また、生徒に言った言葉として「頭は使えば使うほど磨かれるんだ」と。「勉強し過ぎても神経が衰弱することはないから大いに勉強せよ」なんて言葉を残していると書籍に残っています。そんな言葉を残されている方で、今、「自主堅正」という校訓をお伝えしましたが、やはり、龍口先生のそういう教育の方針の流れというようなものをくんでいるのではないかなと思ったりします。

その後、旧制から新制の中学・高校という流れがあったのですが、昭和45年に中学校が一度休校になっているんです。休校になりまして、その休校であった中学校を再開したのが平成元年なんです。その時に新しい学校を作ろうということで、教育理念というものをまた作りまして。

おおた:
中高一貫校化するときに、理念をまた新しく作り直したのですね。

平野:
はい。ですので「自主堅正」という校訓もあるのですけど、その時に教育理念が「見えるものの奥にある、見えないものを見つめよう」というといった言葉になりました。

おおた:
ああ、いいですね。

平野:
探求していこうというような言葉になります。

おおた:
目に見えているものだけがすべてだと思うなよと、その裏の存在を常に意識させる言葉ですよね。

平野:
そうですね。ですので本校は、まもなく138年になりますが、そういう古い歴史も継承しつつ、今のような体制になってからはまだ34年目ということで新しい学校の側面というものもつくっていこうと、こういった学園であるということです。

Topics3:保護者様へのアドバイス

大切にしているのは生徒との「距離感」です

おおた:
そういった壮大な歴史の中で何度か理念のたたき直しなんていうこともおこないながら現在の形になってきた高輪中高さんですが、その高輪中高さん流の教育のエッセンスをなにかご家庭での子育てにいかせるヒントをいただければと思うのですがいかがでしょうか。

平野:
(中略)私が普段、大事にしていることは、距離感、生徒の手を離しても(1)は離さないようにしようと。「手を離して(1)は離さず」という言葉をいつも先生方にもお話をしているところで。

やはり、男の子ですので色々なこと、目の前のことに挑戦してほしいし、色々なことに取り組んでほしいということで、まずは手を離すんだけれども、離しっぱなしにするとどこへ行ってしまいますので、見守るというのでしょうか、(1)を離さずにしっかりと会話をしながら見ていくということ、これが学校で特に心がけていることです。

子育てもこれに近い部分があるのではと思っておりますので、思春期、中学高校生の時は、ご家庭で特に男の子は話をしなくなると思うのですが、適度な会話を保ちながら手は離すけれども(1)は離さずにお子様を見守っていただければと思っております。

おおた:
ありがとうございます。中高生にもなって親が手を引っ張っているとそれは自分の人生を生きられないというか、多感な時期にはそれはうっとおしく感じられてしまいますから、親としては手を離してあげるということが必要なんだけれども、一方、何もしなくていいかと言われればそうでは無くて。

(1)を向けてあげる、(1)を離さずに常に見ていてあげると、おそらくお子さんも「ああ、親はちゃんと自分のことを見ていてくれるんだな」と思って、それがある意味での安心感、自由にふるまわせてもらっているけれども、でも常に自分のことを見て理解してくれているんだという安心感があればこそ、なおさらいろんなことに挑戦しようという意欲がわいてきたり、勇気がわいてきたりとか、そして失敗を恐れなくなったりとか、そういったことがあるのかと思います。

(親が)べたべたしていたら(子どもは)自分の思うとおりにふるまうことができないけれども、手を離してあげて、だけど、それだけではなくて見守っているよということを言葉ではなく視線として伝えることができるとのびのびした多感な時期が過ごせるということかなと思いました。

校長室訪問、今回は高輪中学高等学校の校長、平野 豊郎先生にお話をうかがいました。平野先生、ありがとうございました。

<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

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