鷗友学園女子中学高等学校 大井校長先生のお話・穴埋め式まとめノート②

この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。

配信内容の主要部分を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。

番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。

今回お届けするのは、
鷗友学園女子中学高等学校(東京都世田谷区)の校長である大井正智先生のお話(全4回)の第2回です。

※その他の回をお読みになる場合は、下記リンクをご利用ください。(配信後、順次追加していきます)
第1回  第3回(準備中)第4回(準備中)


番組の聴取は下記より↓↓

【大切なお願い】

※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。

クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。

この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!

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Topics1:設立の経緯

鴎友は同窓会が立ち上げた学校

おおたとしまさ氏(以下、おおた):
(前略)今回は対談の2回目ということで、歴史や、どういう理念を持った学校なのかというところをご説明いただけますか?

鷗友学園女子中学高等学校
大井正智
校長(以下、大井):
はい。うちの学校は少し珍しいできかたをしておりまして。東京府立第一高等女学校――東京がまだ「東京府」だった時の高等女学校ですね――、公立の女学校の同窓会「鷗友会」から、創立50周年を記念して私立の学校を作ろうという話がでてきたのです。

おおた:
何年のことでしたか?

大井:
1935年(昭和10年)です。公立の女子の学校の同窓会が私立の学校を作っちゃったという、これはものすごいエネルギーだと思います。これにすごく大きくかかわったのが、(1)という人物です。彼は府立第一高等女学校の校長を17年、その前も国語の教員として働いていました。あわせて、全国高等女学校長協会の理事長も務めていました。言い換えると、当時の昭和10年前から日本の女子教育のリーダー的立場にいた人物でもあります。

その(1)がまもなく定年ということもあり、卒業生たちが「私の娘にも市川先生の教えを受けさせたい」ということで、だいたい1年ぐらいで寄付金を集めて。世田谷の地にあった学校を買い取って、私立の女子校を作りました。

<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

先生に教えてほしい → 学校を作ってしまおう!

大井:
なぜこのようなエネルギーがあったかというと、(1)は府立第一高等女学校の校長だった時に、生徒に向かって「皆さんは女性だけど、女性である前に一人の(2)です。一人の(2)として社会に出て活躍しなさい」ということをずっと話していたのです。

男尊女卑があって当たり前で、良妻賢母の教育であった、その時代に「あなたたちは社会に出て活躍しろ」とずっと言っていた、そういう思いを聞いていたお母さんたちが、自分の娘も(1)先生に教えてもらいたいということで寄付金が集まってできたのがうちの学校です。

おおた:
高等女学校について、リスナーさんのために少し補足を致しますと、高等女学校というのは今の中学校・高校ぐらいの年齢の女子が通う学校ですね。

大井:
そうです。5年制で。

おおた:
戦前の学校制度だと、男子は5年制の中学校、女子は(基本的には)5年制の高等女学校ということで、おのずと男子校・女子校とわかれていました。この男子の側の府立一中は、日比谷。それに対する女子版が府立第一高等女学校だったわけです。その現在、その後継にあたる学校が都立白鴎ですよね。公立中高一貫校になりました。その前身である学校の名物校長だった(1)先生がそろそろ定年で校長を退かれる。でも(卒業生が、自分の子どもを)先生にぜひ預けたいということで、「じゃあ、(1)先生を校長にして学校を作ってしまおう!と。

<確認クイズ>
(2)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

1期生が卒業を迎えたその日に…

おおた:
当時の女性たちがお金を集めるって、それはすごいことですよね…。

大井:
すごいことだと思うんです。ですから、それだけ、男尊女卑という時代であったとしても、彼女たちの心の中には「いや、違うんだ」という思いがあったのだと思います。

おおた:
実際にお金を用意するということは、当時の社会の中で女性が持っていた力を考えると、すごく難易度が高かったですよね…?

大井:
すごく苦労したと思います。だけどそれを実現させた。
ですから私たちもそうした昔の人たちの想いを大切にしなくてはいけないなと思っております。(中略)

学園がスタートして5年後、1940年3月25日に(1)は脳溢血のために他界しました。ちょっと劇的なのですが、実はこの1940年3月25日という日は――高等女学校は5年制なので――ちょうど鴎友学園女子高等女学校がスタートしたした年の生徒たちの卒業式だったのです。(中略)1期生の卒業式の日に(1)が亡くなり、(ただし)その事実は生徒たちに伝えないまま卒業式は粛々と行われたということでありました。

Topics2:あの時も今も。守り続ける信念

勇気と信念をもった行動

大井:
そのあとを受けたのが、(3)です。理事長・校長で鷗友では30年ほど活躍しました。彼女は内村鑑三の愛弟子ですので(内村は「しーちゃん」と呼んでいたようです)、キリスト教精神をその時点でしっかりと入れていきました。彼女もまたすごくて、1940年に校長になって(中略)時間割に英語を入れたんですね。

おおた:
1940年って…それは大変な時ですね。

大井:
ええ。すごい時に入れて。そのあと戦争が激しくなり、うちの学校も結局授業ができなくなって。学徒動員という形になり、生徒たちも、戦場にはいかないまでも工場で働くなど仕事に関わるようになったのです。ある手記を読んだところ、狛江の工場に働きに行っている生徒のもとに、ある時、石川志づが様子をみようと出かけていき、(中略)そこで鴎友生を集めて、なんと英語の詩を読んで聞かせたそうなのです。(それを聞いた)生徒たちは、「乾ききった心に天から天使が下りてきて命を潤わせてくれた」ような気持ちがしたと書いてありました。

おおた:
そうでしたか…鴎友に関しては何度も取材にうかがって隅から隅まで聞かせていただいていた気がしていましたが…そのエピソードは今日、初めてうかがいました。

<確認クイズ>
(3)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

生徒たちにとって、今、何が大切か

大井:
この二人のお話は、当時の世の中からしたらめちゃくちゃですよね。男尊女卑の時代に「あなたたちは社会に出ろ」とか、工場へ生徒たちに英語の詩を読んで聞かせるとか。

でも(4)たちは、「生徒にとって何が大切なのか」「世の中がどうあろうと自分は鴎友生に対してこういうことをしてあげなくてはいけないんだ」という思いで動いてくれていたと思うんです。ですから、我々、鴎友で勤める教員も、やはりそれを忘れてはいけない。(忘れたら)(4)たちに怒られてしまいますので。

生徒たちにとって、今、何が大切なのか、今、何をすることが一番なのか。
たとえ世の中が違う方向に行ったとしても、我々はこれを大切にしていく。
そんな思いを新たに感じているところです。

おおた:
このPodcastの第1回の時に、先生、「鴎友学園は幕の内弁当にたとえられる」とおっしゃっていて。そこで思い出したのですが、市川源三先生が確か、「コアカリキュラム」という概念を…(中略)。主要教科といったことではなく、すべての学びが、しかも単なる教科の学びを超えて、生活と結びついて総合的な輪を描く…という図がありましたよね。

大井:
合科教育ですね。そういうのを大切にして。
ですから、子どもたちにとって今何が大切なのかを本当に考えていかなくてはいけないと思っています。

<確認クイズ>
(4)に当てはまる言葉は何でしょう?

テスト

いかがでしたか?
鷗友学園女子中学高等学校の大井正智校長先生のお話・次回(第3回)配信分のテキストは こちら(準備中) からご覧いただけます。


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